桜鱒太郎のセパリスト~もっと身近に、生物多様性。~第5回

  • 2012/05/07


セパリスト005

 

東京都小笠原村

自然ガイド

梅野ひろみ

Umeno Hiromi

 

 

文/桜鱒太郎 Sakura Masutaro

 

 

 

 

固有種の棲む、東洋のガラパゴス

東京から南へ1000km。太平洋に点在する約30の島々を小笠原諸島という。飛行機で行くことができないため、東京・竹芝から船で揺られること25時間半! 小笠原の入口である父島に到着する。海外よりも遠いニッポンだ。

人が住んでいるのは父島と、そこからさらに2時間船で南下した母島のみ。ほかは無人島になる。しかも、小笠原村は東京都であり、島には品川ナンバーの車が走っている。

ザトウクジラやマッコウクジラを観察できるホエールウォッチング、イルカと一緒に泳げるドルフィンスイムなど、小笠原ではエコツアーが盛んである。もともと小笠原の自然に魅せられて移り住んだ人が多いので、自然ガイドやインタープリターと呼ばれる人々もたくさんいて、自然環境保全に対する意識が高いのだ。

小笠原の魅力は「ボニンブルー」と呼ばれる透明度の高い美しい海。そして、山や森の豊かな自然である。しかも、小笠原諸島は一度も大陸とつながったことのない「海洋島」であり、偶然海を越えることが出来た生きものたちが住みつき、隔離されながら独自の進化をとげてきた奇跡の島でもある。そのため、世界中で小笠原諸島にしか生息しない「固有種(こゆうしゅ)」が多数生きていて、独特の生態系を形成している。「東洋のガラパゴス」といわれる所以である。

オガサワラオオコウモリのようなほ乳類をはじめ、メグロ、オガサワラノスリ(固有亜種)などの鳥類、オガサワラゼミなどの昆虫類、ムニンノボタン、ワダンノキなどの植物等々。多種多様な固有種が存在している。小笠原の植物の36%、陸生貝類の95%が固有種といわれ、その数が希少であることから、絶滅危惧種や天然記念物に指定されているものも多い。

また、小笠原の植物の祖先種は、以外にも本州や伊豆諸島から来た植物は少なく、ほとんどが東南アジアやハワイやポリネシアからなのだとか。

「小笠原にやってきた植物たちは、3つの“W”の力で運ばれてきたと言います。それが“ウインド”“ウエイブ”“ウイング(羽根)”です。つまり、風、波、鳥によって植物は運ばれました」と語るのは、母島の東京都認定自然ガイドの梅野ひろみさん。本人は自らを「森の案内人」と呼ぶ。

 

 

外来種が固有種を絶滅に追い込む

 

 

中学生のときから植生調査をするのが好きだった、埼玉県出身の梅野さん。

「部活動で学校周辺に何箇所かの調査地を作り、3年間野草の植生調査をしたことが植物を好きになるきっかけでした。日照や土壌の性質など条件が少し違うだけで、生育する植物はまったく異なり、面白いものだな、と感じました」

初めて母島に訪れたのが1988年。母島には今まで見たことがない植物や動物にあふれていた。そして母島の持つ多様な生物や人々の暮らしぶりに魅了され、それから何度も来島するようになった。

1996年に家族とともに母島に移住。2003年、東京都の自然ガイド第一期生に認定され、豊富な植物の知識を活かして自然ガイドを始める。その名も「フィールドエスコートhilolo」。母島のシンボルである乳房山を登り、固有の植物を解説するコースや、ガイド同行必須の石門コース案内など少人数のパーソナルツアーがメインだ。

梅野さんのガイドはエキサイティングである。小笠原の植生に詳しくなくても、その語り口にぐんぐん引き込まれていき、母島の動植物の息づかいを感じることができ、自然への興味の持ち方や接し方を学ぶことができる。ガイドが終わった頃には母島の自然が愛おしくてしかたなくなるから不思議だ。

梅野さんが好きでたまらないというオガサワラオカモノアラガイ。

おもに母島に生息する殻が退化している珍しいカタツムだが、母島の雲や霧による湿った気候に適応した「湿生高木林」に守られ、殻が退化したという。母島の自然の豊かさ、それを象徴するようなかわいい生きものである。普通だったら通り過ぎてしまうような場所も、梅野さんに教えてもらうことで、すごい魅力的な生きものが生息していることに気がつく。しかし、梅野さんにとって、自然ガイドは一つの顔にすぎない。

じつは小笠原の大きな問題として、今まで人間が持ち込んだ外来種が、固有種の存在を脅かしているという現実があり、環境省が指揮して、本来の自然に再生するための事業が急ピッチで進んでいるのだ。梅野さんはその自然再生事業にも関わっている。

小笠原に外来種が持ち込まれた歴史は古く、クマネズミやオオヒキガエルなど、人の定住とともに外来種は増えてきた。外来種のグリーンアノールは小笠原でよく見かけるかわいいトカゲだが、1960年代にペットとして持ち込まれた。固有種は新しく現れた天敵に次々と居場所を奪われ、オガサワラシジミは絶滅危惧種になってしまった。かつて、江戸~明治期に人間が入植した後、オガサワラマシコや、オガサワラカラスバトなどの固有種が完全に絶滅してしまったように、今でも外来種が固有種を脅かしているのだ。

 

 

自然再生事業の痛み

明治時代には移住した人々によって、森林の伐採と開墾が始まった。固有種のオガサワラグワなどの木が高級資材として持ち出され、薪炭材として外来種のリュウキュウマツ、モクマオウ、アカギが植林された。また明治20年頃からサトウキビの栽培が盛んになり、森林はすべて畑に変わっていった。乳房山の山頂近くまで畑が作られていたと梅野さん。

特に深刻なのが薪材にするために、持ち込まれたアカギだ。増殖を続けるアカギは母島の面積の15%にも増え、おかげで多くの動植物が、この影響を受けて少なくなってしまった。アカギが純林に近づくほど、多くの固有種が生きていけなくなるのだ。

「たとえば、シマホルトノキがなくなると、その実を食べるアカガシラカラスバトが絶滅してしまう。オオバシマムラサキ、コブガシの樹がなくなると、そこに集まるオガサワラシジミも絶滅してしまう」と梅野さん。

固有種の植物が、固有種の動物を支えているため、一つの「種(しゅ)」がなくなると、ほかの固有種にも危機が訪れてしまうのだ。小笠原は生物多様性の重要性を最も痛感する場所である。

2008年から環境省の自然再生事業としてスタートしたグリーンアノールの駆除は、オガサワラシジミの繁殖地約1キロ四方を柵で囲い、外からアノールが侵入できないような保護地を作る事業だ。捕獲するためのトラップが約5千個仕掛けられ、地元の作業員が毎日エリアを決めて、アノールがかかっていないかをチェックするという。その結果、アノールの生息密度は1/4に減少。様々な昆虫類が回復しつつあり、固有種のハハジマヒメカタゾウムシは約10倍に増加している。

しかし、外来種といっても命に変わりなく、彼らも人間の都合で連れて来られた被害者なのに、それを殺さなければいけない苦しみ。梅野さんはいつも胸を痛めている。

「今まで殺してきたものの命を無駄にしないためにも、やり続けなくてはいけない。外来種駆除の是非やその方法については、小笠原をフィールドとして研究活動をする、昆虫・陸産貝類・鳥類・植物等の各領域の研究者が何度も検討会議を開き、議論を重ねて確立してきた。科学が進歩すればまたもっと良い方法が見つかるかも知れないが、みんな、今はそれが一番いい方法だと信じてやっています」

生態系への影響を考えず、またそういう知識を知らなかった人間の無知さが、生きものたちだけでなく、現代の自然を愛する人々の心をも痛めつけている。自然環境を破壊し、開発を行う人々は今も大勢いるが、100年後の生きものたち、子孫たちをいかに苦しめるのか? それを考えてほしいものだ。

 

 

小笠原の自主ルールとは?

貴重な生態系を守るために、小笠原では行政が定めた法令のほか、「自主ルール」という自然環境保護ルールも存在する。「ザトウクジラから100m、マッコウクジラの50m以内に船から近づかない」というホエールウォッチングルールや、「ウミガメと遭遇したら、驚かさないように動かないようにする」というウミガメルール、ほかにもドルフィンスイムやオガサワラオオコウモリに関しても細かい自主ルールが設定されている。

中でも、南島や母島の石門コースは東京都が認定した自然ガイドの同行が必須であり、南島では1日あたり100人、石門コースは50人といった一日あたりの最大利用者数も制限されている。また、南島では年間3カ月の入島禁止、石門コースは年間5カ月間入山禁止になる。

さらに、植物の種子や生きものを持ち込まないように、島のあちこちに「外来生物除去装置」と呼ばれる、ブラシやマットで靴底の泥を落としたり、酢や海水で洗うといった外来種が入り込まない対策もしている。

また、梅野さんはツアー客に自然のガイドをしながら、同時に利用ルートでのモニタリング調査も行っている。

「各ガイドは石門への入山届けをする時にモニタリング用紙を渡され、いつ入山していつ休憩したかというタイムテーブルを提出し、動植物の変化も記入するようになっています」と梅野さん。

ガイドと並行して現場のモニタリングをし、動植物に異常がないかをチェックするのだ。そして、10月に閉山すると、東京都のモニタリング調査が入り、希少植物が減少していないか、鳥が減少してないかなどの本格的な調査を行う。ガイドが提出した用紙を参考に、人々の滞在時間が多いところは、周りまで踏み込んで荒らされていないかを入念にチェックする。また、コース内にはトイレがないため、携帯トイレを使う近辺でニオイが残っていないかなどの調査も行うそうだ。

梅野さんのような、小笠原の自然を愛する人たちの手で、貴重な自然は守られている。

 

 

世界自然遺産登録の影響

2011年6月、小笠原諸島は屋久島、白神山地、知床に続く、日本で4番目の世界自然遺産に登録された。そして世界中から続々と観光客が押し寄せるようになった。今や例年の3倍もの人が来島する月があるという。観光客が押し寄せることで、小笠原の経済は潤うのだが、自然環境が徐々にダメージを受けていることも事実である。

「母島でも木を折ったり、登山口にゴミを捨てていったり、用便を足して始末をしないマナーの悪い人が増えました。今まではこんなことはなかったんです。片道25時間かけて、島の自然を見に行くという意識の高い人が多かったのですが、それが世界自然遺産になった後、客層が変わってきました」と、梅野さん。

今まで、父島に行くには一週間に一度運行する通称「おが丸」と呼ばれる客船で往復50時間近い時間をかけて行く人がほとんどだった。まとまった休みがとれないといけないし、行き帰りの移動の疲れを考えるとハードルが高かった。だから、自然や小笠原を愛する人たちしか行かなかったのである。

しかし、世界自然遺産に登録されてから、「世界自然遺産」だから行きたいという普通の観光客が増えてきた。彼らは「小笠原」に行きたいのではなく、「世界遺産」に行きたい人たちなのである。すべての観光客がそうとは限らないが、物見遊山的な気持ちで訪れるから、自然の繊細さを知るはずもなく、徐々に自然が破壊されていく。

「乗船前に自主ルールのチラシを配ったり、船旅の間に小笠原の自然の大切さを伝えるのも必要だと思います。特別な場所に行くのだ、という気構えを持って来島して欲しいと思います」と梅野さんは語る。

実際、筆者が「おが丸」に乗ったとき、船内ではホエールウォッチングのレクチャーを実施していたが、立ち見が出るほどの大盛況。みんな熱心に聞き入り、質問をしていた。船内ではあり余る時間があるのだから、このようなイベントを毎回行い、小笠原自主ルールのレクチャーや環境教育講座もすべきだと思った。そして、それを「おが丸」以外の豪華客船内でも徹底させてほしい。豪華客船で来る観光客が増加しているからだ。

かつて、ガラパゴスが観光客に破壊されていったように、早期の対策をしないと、日本が世界に誇る最後の楽園も、あっという間に手遅れになってしまう。小笠原の美しい自然を守り、永続的に共生していくためにも、より厳しい入島制限や環境教育の徹底が必要だと思う。

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