桜鱒太郎のセパリスト~もっと身近に、生物多様性。~第4回
セパリスト004
東京都中央区
銀座ミツバチプロジェクト
田中淳夫
Tanaka Atsuo
文/桜鱒太郎 Sakura Masutaro
銀座で農家になった男
洗練された大人の繁華街、銀座。
そんな都会の代名詞である銀座でミツバチを飼おうと考えた男たちがいた。農業生産法人アグリクリエイト取締役東京支社長の高安和夫さん。そして、このプロジェクトの発起人である田中淳夫さん。
2006年、2人は盛岡の養蜂家、藤原誠太さんの指導のもと銀座の屋上で養蜂をスタートする。田中さんはもともと株式会社紙パルプ会館の常務取締役。ビルの運営とスペースをレンタルする会議室ビジネスが本職だが、当初は「銀座で美味しいハチミツを採れたら面白いよね。うちのビルの屋上を貸してあげてもいいよ」という軽い好奇心から始めたに過ぎなかった。藤原さんに屋上を貸せば場所代として銀座産のハチミツをもらえると思っていた田中さん。それがいつの間にか自分たちが飼うことになったのだ。
しかし、この『銀座ミツバチプロジェクト(通称:銀ぱち)』は、それからテレビや新聞、雑誌などマスコミで取り上げられるだけでなく、ものすごい引力で世の中を駆け巡ることになる。世界各国から大使が視察に訪れ、CNNやBBCといったトップメディアからも取材を受けるようになるのだ。2010年には環境への功績が認められ、環境大臣から表彰。農業生産法人も設立し、おそらく銀座で初めての農家にもなった。
さて、そもそも銀座で本当にハチミツが採れるのか?という素朴な疑問を持つ人もいると思うが、じつは銀座周辺には私たちが思っている以上に豊かな自然がある。皇居の広大な森は農薬を散布することなく、天然林に近い素晴らしい森が残っているし、浜離宮や日比谷公園、街角の街路樹も立派な蜜源になる。
特にユリノキは花蜜がしたたるように出る。藤原さんが皇居の周りを歩いたとき、内堀通りに並ぶユリノキの街路樹を見て、皇居周辺での採蜜を思いついたというくらいだ。
春は桜の時期にソメイヨシノの蜜から始まる。そして菜の花の蜜に変わり、ユリノキに変わり、マロニエ通りのマロニエに変わる。やがて霞ヶ関のトチノキの蜜となり、梅雨から初夏はシナノキやエンジュに変わってゆく。田中さんはミツバチが運んでくる蜜を通して、東京の四季を知った。
銀座で芽生える農的コミュニティ
2006年、紙パルプ会館の屋上で三箱から始めた養蜂だったが、採蜜量は徐々に増えていった。一年目は150kg、二年目は290kg、三年目には440kg(ニホンミツバチの20kg含)! たった三箱だというのに、すごい量の蜜が採れたのだ。
さて、『銀座ミツバチプロジェクト』のコンセプトは、「ミツバチの飼育を通じて、銀座の環境と生態系を感じるとともに、採れたハチミツ等を用いて銀座の街との共生を感じること」である。それは、採蜜した“銀座産”のハチミツで作った食品を、“銀座”で食べてもらうということであり、銀座の地産地消を実現させるということだ。
田中さんは、高安さんとともに銀座のお店を相手に養蜂の現場に案内したり、ハチミツを味見して使ってもらおうと走り回った。やがて、手を挙げてくれる人が何人も現れ、アンリ・シャルパンティエ銀座本店ではマドレーヌに、銀座文明堂では蜂蜜カステラに、ミクニギンザではケーキに使われることに。さらにカクテルや石鹸にも使われるようになっていった。そして、この動きは今も変わらず続いている。
また、松屋銀座にあるハチミツ専門店ラベイユは、世界でもトップクラスのハチミツしか扱わないところなのに、そこに一番高い値段で置かれるようになる。もともと収量が限られているために、ハチミツのまま出すことは控えていたのだが、ここに商品を出すことは品質の保証にもなることで例外を設けた。おかげで今、銀座のお土産として大人気商品になっている。
さらに、田中さんは環境指標生物のミツバチが生きられる環境を、もっと銀座に増やしていきたいと考えるようになった。そこでミツバチのために、花を植え、食べられるものを栽培しようと、屋上農園『銀座ビーガーデン』を設立する。ミツバチの大好きな花や植物を増やせば、地域の緑化活動にもなる。こうして銀座ブロッサム、マロニエゲート、松屋銀座、白鶴酒造、東京画廊、NTT東日本などでも屋上を利用したプロジェクトが進んでいくことになる。
すると、面白い現象が起き始める。銀座といえば高級クラブというイメージだが、その高級クラブのママさんたちが『銀座ビーガーデン』の緑化活動をはじめ、銀ぱちの活動に積極的に関わってくれるようになったのだ。そして、バーデンダーが協力してハチミツを使ったハイボール「ハニハイ(ハニーハイボール)」を考案。銀座社交料飲協会に所属する60店舗近いクラブやバーで、飲めるほか、その売上げの一部を緑化活動に寄付するということも起きている。
今、夜の銀座ではハニハイで乾杯しながら、環境問題について語るということがごくごく普通の風景になってきているのだ。ミツバチを通じて、銀座は人と人の顔のつながりも深くなり、お互いが助け合いながら暮らす、里山のような農的コミュニティを形成し始めている。
養蜂の最先端を学ぶ東京都中央区の子供たち
「たとえば都会のビルはセキュリティが厳しく、誰もがどこでも入れるわけじゃない。都会では人と人とが縁を切っているわけです。僕らはそうやって消えてしまった縁を、ミツバチを通してつなげていきたい。それまで出会うことがなかった人たちが屋上で採蜜をしながらつながっていく。クラブのママさんが着物姿で農作業し、バーテンダーが収穫したすだちとハチミツを合わせてカクテルを作ったり。街の中でも人と人のつながりが生まれ、シェフやパティシエ、バイヤーなども参加するようになった。そして、そこに銀座の子供たちも加わるんです」。
じつは、銀ぱちの活動で、特に力を入れているのが子供たちへの環境教育である。学校の先生方の要望で、体験学習の場を設けたのが数年前。そのウワサがウワサを呼び、今では東京都中央区の幼稚園、小学校、中学校でミツバチを持っての出前授業を行っているのだ。
「幼稚園ではミツバチの生態を学び、小学校ではミツバチの受粉で食べ物が出来ていることを伝え、中学校では技術・家庭の授業で養蜂の仕方まで教えてしまう。今、中央区の子供たちは養蜂の最先端を学んでいるんです。一番自然環境と離れた場所なのに」と田中さん。
もちろん、子供たちがミツバチと触れ合うときには細心の注意を払う。ミツバチはよほどのことがない限り、人を刺さないことを説明するとともに、ミツバチの状態を目で確かめることも必要なのだ。
「ミツバチは知的な集団です。僕らが敵じゃないということが分かると、いてもほとんど何もしない。入口の門番も緊張しない。危ない存在が来ると、門番が警戒フォロモンを出して群れ全体に伝える。だから、そういうフェロモンを出さなければミツバチは極めて大人しいんです」。
田中さんや養蜂スタッフたちはミツバチに問題がないことを確認すると、子供たちや先生に触ってもらうことにしている。ミツバチの小さな体を撫でつつ、体温を感じてもらう。すると決してミツバチが我々を襲うような生きものでないことが分かる。ミツバチの大切さを理解し、環境保全にも興味を持つようになる。これはすごいことだ。
プロの養蜂家も注目する銀ぱちの技術
小さな生きものであるミツバチを通して、新しい価値をみんなで作ること。銀座から始まったミツバチプロジェクトは今や全国に飛び火している。札幌、仙台、名古屋、そして大阪の梅田でも。
「僕の本を読んで面白いと思い、阪急梅田駅前のビルで始まったのが、梅田ミツバチプロジェクトです。しかし、大阪の梅田周辺を航空写真で見てみると、蜜源となる緑が少ないことが分かりました。すごいのは、そこであきらめるのではなく、ミツバチの蜜源を増やそうと、市役所と話して屋上緑化を広げようという動きになっていることです」と田中さん。
また、銀座ミツバチプロジェクトの成功を見て、プロの養蜂家からも熱い視線が注がれている。有機農業が盛んな栃木県茂木町では銀ぱちスタッフを招いての養蜂講座が始まった。20人募集のところに45人集まったのだとか。養蜂家がこぞって話を聞きにくるほど、銀ぱちの技術はすごいのだ。これは、「日本在来種みつばちの会」会長でもある藤原さんが発案したニホンミツバチ飼育方法が革新的なことに起因する。
これまで、ニホンミツバチの蜜を採蜜するときには、巣を根こそぎ壊して蜜を採るような狩猟型の採蜜がほとんどだった。巣を壊されたミツバチは再び巣を作るため、蜜を十倍消費して蜜蝋を作るのだが、ミツバチに多大な負担をかけることになり、その冬を越せないことも多い。
しかし、藤原さんが発案した現代式縦型巣箱の「ハニカム人工巣」は軽くて丈夫。中の状態も分かるので群を人工的に分けることもでき、巣を壊さないで採蜜できるのだ。ミツバチたちに負担をかけることも少ない。おまけに女王蜂も含めて全国に移動出来るようになった。それまではストレスを感じると熱を発して群れが崩壊していたニホンミツバチが、今では新幹線で移動できる時代になったのだ。
銀座の生物多様性
ところで現在、山や森の自然はスギやヒノキの植林のために、多くの生きものたちが住めない森になっている。ブナ科の広葉樹が減っているから、クマは主食のドングリを食べることができず、食べ物を探して里に現れてはやむなく銃殺される。ミツバチも同じ。松食い虫対策で山全体にまかれている農薬はものすごい量なので、ミツバチをはじめ多くの生きものが消え、川まで汚染されてしまう。
里はもっと悲惨な状況だ。農薬を使う現代農業は、ミツバチにとっては過酷な環境であり、たとえ少量でも農薬に被爆すれば、ミツバチは決して巣の中に入ろうとはしないのだとか。もし間違って入ろうとしても門番のミツバチが入れてくれないのだ。
「だから、ミツバチが都会に逃げ込んでいる可能性もあるわけです。都会の方が農薬はまかないし、花も増えていますから」と田中さん。
屋上緑化で木を植えたり、畑を作ると虫やトカゲが出て来て、それを補食する野鳥も飛んでくるようになった。中には巣箱の前で死んだミツバチを食べて味を知ったスズメもいる。やがて、その鳥を食べにくる生態系の頂点、チョウゲンボウのような猛禽類も現れた。猛禽類の登場は歓迎すべき状況で、ビルの屋上で明らかに自然の生態系が出来上がりつつあることを示している。
「都会の中でも生きものの世界が巡っています。虫を鳥が食べて猛禽類がその鳥を食べる。私たちがミツバチを通してそういう現実を知りました。今年はカナブンがたくさん来ました。甘いニオイに誘われてくるんでしょうか。カブトムシも来ます。瀕死の状態だったのが、ハチミツを食べると生き返った。そういう生態系に直接触れていると、人間もその生態系の一部だということを感じることができます。屋上に薄いながらも土を敷いて、食べられるものを植えたら、サラリーマンだけじゃなく、クラブのママやバーデンダーたちが集まった。これは銀座の生物多様性ですね(笑)」。
銀ぱち、ロシアのタイガの森保全に
今、銀ぱちは新しいステージに向かっている。藤原さん、高安さんとともにロシアの天然林を守るプロジェクトに参加することになったのだ。「タイガの森を守るミツバチ大作戦」がそれである。
タイガとはロシア極東に残る広大な針葉樹の原始林。アムールトラなど貴重な生きものたちが生息する森だ。またタイガの森は、豊富な栄養分がアムール川を通して海にそそぎ、日本近海の豊かな漁場を支えているという、私たちにとって身近な場所でもある。しかし、その貴重な森が大規模な伐採で破壊されつつあるという。地元の人々が木を売って生計を立てるためだ。
そこでその伐採を止めさせようと、地元の人々がシナノキのハチミツで養蜂を開始し、生計を立てることを応援。日本の消費者がそれを買い支えることで森を守ろうという作戦なのだ。銀ぱちがロシアに渡ったのは現地の人々に専門家としての助言をするためだった。
「僕らが銀座でミツバチを飼い始めたことが、ロシアのアムールまでつながって来ました」田中さんは感慨深そうに語る。銀座の屋上でたった三箱から始めた養蜂が、世の中で大きな渦を作り、広大な森を守るプロジェクトに参加するまでになった。
こうも考えられる。もしかしたらミツバチが都会に逃げ込み、銀座で人々にメッセージを伝え、根本的な原因である原始林の伐採を留まらせようとしている、とも。田中さんの著書「銀座ミツバチ物語」(時事通信社)の中で、田中さんは繰り返し、自分がミツバチの視点でものを見ていることに気がつく。「屋上でミツバチと一緒に夢を語ると、それがなぜか次々と実現してしまう」と話すように、すでに田中さんはミツバチと一体なのかもしれない。
今、現実に動き出しているこんなプランもある。
「ある鉄道会社が、沿線沿いの空き地を花畑にしていくと、それを通して山から都会への緑や花の道が出来るんです。駅自体の屋上にも薄い土を敷いて花畑を作れば、駅が生きものの豊かな場所に変わります。そういう新しい生態系のネットワークができるんです。たとえばコゲラなど、ある程度の距離しか飛べない鳥でも、山から皇居に飛んで行くことが可能になるかもしれない。人が減って、土地が余ろうとしているのに、高層マンションや商業施設を増やすのではなく、里山の中に低層マンションが建つようなコミュニティを増やしたい。その中には近所で作った農産物を販売するマルシェがあって‥‥」。田中さんの夢は尽きることがない。
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