桜鱒太郎のセパリスト~もっと身近に、生物多様性。~第2回
セパリスト002
神奈川県厚木市
自然環境保全センター
獣医師
加藤千晴 Kato Chiharu
文・写真/桜鱒太郎 Sakura Masutaro
野生動物を救護する人々
野生動物が交通事故にあったり、鳥が透明のガラスに衝突して瀕死の状態になったり。あるいは不適切な飼養により、飼い猫が野鳥を襲う。今、この瞬間も私たちの知らないところで野生動物たちが命を失い、ケガで重傷を負ったりしています。その原因となるのはほとんどが人間社会の都合。私たちが便利さ、快適さを求める裏側で、多くの生きものたちがもがき苦しんでいます。
しかし、そんなことに目を向けようとしない人々の多い中、その犠牲となった生きものたちを救い、傷を手当てし、できれば野に帰したいという人たちもいます。
神奈川県の自然環境保全センター。全国でも数少ない、県が運営する野生動物のための救護施設ですが、そこには年間にのべ千数百人ものボランティアが集い、多くの生きものたちを救っています。そして、その中心にいるのが常勤獣医師の加藤千晴さんです。毎日のように運び込まれる痛々しい生きものたちに、温かい言葉を話しかけながら、根気よく救護するその姿勢は、その現場に立ち会うたび心に響いてきます。生物多様性の基本となる、生きものたちとの共生。その最前線がまさにココなのです。
野に帰れるのはわずか3割
ツバメ、スズメ、キジバト、ゴイサギなどの鳥類や、タヌキやムササビなどのほ乳類。センターに保護されている生きものは常時25~30種類くらい。なかにはオオタカやトビなど猛禽類もいます。数でいうと150近くの生きものたちが手当を受けたり、リハビリをしています。無惨に羽根がちぎられた鳥や、足が曲がらなくなったタヌキなど、ここでは傷ついた生きものたちが温かい人々によって支えられているのです。
しかし、野生動物が人間の手で簡単に保護されるという状況はすでに尋常ではなく、保護される時点でかなり弱っているのも事実。どんなに最善を尽くしても半数以上が亡くなってしまいます。また1割くらいの生きものは障害が残り、野生に帰すことができず、センターで余生をおくるか、ボランティアさん宅で飼養されます。水禽類(水鳥)や猛禽類など体の大きな動物は、一般家庭で飼養するのは難しいのでここで余生をおくることになるのです。センターに住んで16年のトビもいます。
希望は元気になって野に帰っていく、わずか3割にも満たない野生動物たち。彼らは本来の野生動物が生きる世界へと戻って行きます。放鳥・放野のシーンに立ち会いましたが、まるで自分の子供のように見送る人々と、親密な関係を築いた生きものたちとの別れは感動的でした。
ある日、リハビリで元気になったサギを放鳥したときのこと。気がつくとセンターがとても気に入っていたのか、フライングケージの上に帰ってきてしまったのだとか。そこで、外の景色が見えないように箱の中に入れ、相模川の河原まで連れて行き、再び放鳥しました。しかし、驚いたことにそれでも戻って来てしまったということです。よほどセンターが居心地がいいのでしょう。でも、加藤さん曰く、「戻ってくるようでは、野生復帰は失敗」だそうです。まあ、それでも無視していたら、いつの間にか戻って来なくなったそうですが。
多くのボランティアに支えられた救護活動
自然豊かな神奈川県横浜市磯子区で、田んぼに生息するオタマジャクシやホタルに触れながら育った加藤さん。子供の頃から生きものが好きで、高校生のときは、ほ乳類の群れの生態学や行動学をやりたいと考えるようになりました。獣医師ならば、ほ乳類に関われるのではないかと獣医師になることを決意。北里大学獣医学部を卒業後、神奈川県庁に就職しました。自然環境保全センターに異動になったのは平成7年。この年から正規職員の獣医師を置くようになり、その記念すべき第一号が加藤さんでした。今年で通算10年目になります。
加藤さんの仕事は多種多彩。治療や施術はもちろん、新鮮な餌作り、水の交換、小屋やケージの糞掃除、ヒナへのさし餌など。朝8時半に出勤し、毎日夜遅くまで。特に大変なのが給餌。ヒナには最低1日5回ものさし餌が必要で、その都度一羽一羽のヒナの口に餌を運びます。仕事が終わっても、ムササビの赤ちゃんを自宅に連れて帰り、数時間おきにミルクをあげているのだとか。相手が生きものだから休みも関係なく、土日にもほとんどセンターにいて、いつ休んでいるのか? と周囲の人々は不思議に思っています。また、餌代の予算管理から、施設の管理、ボランティアへの指導、そして県内から寄せられる数々の電話相談にも対応しています。
「一番ありがたいのは人とのつながりです。遠くからも多くのボランティアさんが来てくださいます。千葉や埼玉の動物病院の獣医さんが夜勤明けの日に目をこすりながらオペをしてくれたり、獣医師免許を持っている人もたくさん助けに来てくれます。知らない方がタオルを送ってくださることも」と、加藤さん。
現在、登録ボランティアだけで248人。獣医学部の学生やリタイヤ世代の男性、40~50代の子育てを終えた女性など多種多様です。お子様を連れてきて、一緒にボランティアしている人も。毎週、曜日ごとに必ず駆けつけるボランティアがいて、そのコアメンバーを中心に、この活動を力強く支えているそうです。
そのボランティアの多くが所属しているのが、NPO法人「野生動物救護の会」。猛禽類のリハビリにも精通した渡辺優子さんが理事長を務める団体です。渡辺さんは加藤さんが自然環境保全センターへ来た頃の、ボランティア第一期生という長い付き合い。救護の会は加藤さんが公務員という立場で動きにくい部分を、民間人の活動としてうまくフォローしています。この2人が両輪となって、数々の救護を行ってきました。
「1年365日のうち355日はボランティアの方がいらしてくださいます。今年度ボランティアさんがいなかった日はまだ1日だけ。震災の直後でさえ、“動物は大丈夫か?”とふだん車で来られる方が、ガソリンがないので電車で駆けつけてくれたときは感動しました」と加藤さん。
世の中が知らない野生動物のこと
さて、毎年4~8月になると、ヒナや幼獣が巣立ったり、親から離れるために保護件数が急増。
電話の相談だけでもすごい件数がかかってきます。しかも、野生動物を保護する人のほとんどが、今まで経験したことのないことなので、その都度同じことを説明しなければなりません。保護したときの野生動物の種類や状況を一つひとつ聞き出し、その対処の仕方を話しています。
しかし、そんな加藤さんたちの活動を知らないのか、電話の向こうの相手が感情的になることも多いのだとか。中には怒り出す人もいます。悲しいのは保護する生きものを引き取りにいけないことに対して、「なんで役所なのに引き取りに来ないんだ!」と怒る人が多いこと。現場には2~3人しかいないので、目の前の救護活動をおいて外に出られないのが現状なのです。
また、保護する必要がないヒナを“誘拐”してしまう「誤認保護」の場合、「巣立ったヒナは保護する必要がないと思われます。ヒナをそのままにしてください」と答えるのですが、「命なんですよ。可哀想と思わないんですか? 見殺しにするつもりですか?」と逆上する人もいるのだとか。人間の生活があまりにも自然とかけ離れたところにあるため、そういう意見は仕方ないのですが、これでは毎日必死に救護している身にとっては、やりきれない気持ちになります。国や人々の野生動物への意識がまだまだ低い今、心ある人々は本当に身を削って生きているのです。
必要なのは、国家レベルでの環境教育と、情報発信するマスコミ業界に向けての啓発活動です。これは野生動物だけでなく、生物多様性全体のテーマになりますが、多くの人々が現在ある自然環境のバックボーンを知り、どうしたら人間と自然が共生できるのか? どうしたら本来の自然に戻すことができるのか? ということに早急に取り組まなくてはなりません。
「たとえば、傷ついた野生動物のニュースがあっても、“かわいい・可哀想”という問題として切りとられて、“助かったね・良かったね”という報道で終わってしまいます。でも、それだけでなく一羽のツバメを救護したら、そのツバメが東南アジアに渡った後のことまで思いを馳せてほしい。一羽のツバメを通して、日本の自然環境や野生動物がおかれている現状を理解してほしい。人々の意識が変わり、生態系全体が変らないと、問題解決にならないからです。本当はこのような施設がないのが理想なんです」。野山で元気な野生動物を眺めている方が楽しいという加藤さん。センターで弱った野生動物を囲っていることにジレンマを感じています。
密猟されたニホンジカとの出会い
加藤さんにとって、一生忘れられないニホンジカとの出会いがあります。それは、加藤さんがセンターに来て間もないときのこと。ある日ニホンジカが一頭、保護されてきました。そのシカは「くくり罠」というワイヤーの罠に捕まってしまい、後ろ足が10センチくらい切り落とされて、衰弱していました。しかし、センターの人々による必死の看護もあり、3カ月半の療養をした後、運良く傷が治り、上手に歩けるようになりました。そして、山で暮らせていけるのか心配になった加藤さんは、大学から協力してもらい、電波発信器を付けて鳥獣保護区に放したのでした。
やがて狩猟期が始まりましたが、その頃はメスジカを狩猟してはいけないことになっていましたし、鳥獣保護区にいるので安心していました。冬を乗り切ればお母さんになれるかなと、加藤さんはひそかに期待していました。
しかし、2月に猟期が終わった頃、電波発信器でシカの動向を探していた大学生から連絡がありました。ここ数日、電波が同じ場所から発していると。急いで現場に行ってみると、そこには、無惨にも彼女の毛皮のみが横たわっていました。しかも、電波発信器は作為的に地面に埋められ隠してありました。近くには胃袋も落ちていたので、おそらく肉だけを持ち帰ったのでしょう。つまり、メスジカであり、猟期でもなく、鳥獣保護区内にいたのに最後は密猟されて死んでしまったのです。その子は一度密猟でケガをして元気になって森に戻ったのに、また密猟されて殺されてしまった。加藤さんはその子のあまりにも悲惨な一生を悲しむとともに、たまたま電波発信器を付けていたから分かったようなことが、私たちの知らないところで起きていることにショックを受けました。
「現在、私と同じ課の職員は、丹沢の山頂に登って植生を荒らしてしまうシカを、猟友会に頼んで一生懸命撃ってもらっているわけです。片方で傷ついたシカを助け、片方ではシカを管理捕獲という名のもとに捕っている。一見、矛盾しているように思われますが、根っこを考えるとどちらも人間がやっていること。シカも好きで山頂に登ったわけではないし、食べるものがなくなったから登ったけど、降りようと思っても人間が住んでいて降りるところがなくて困っているだけなんです」。
これからの野生動物救護
自然環境保全センターには、野生動物やそれらを持ち込む人々によって、様々な情報が集まってきます。最近、加藤さんが心配しているのはツバメの繁殖時期が遅れていること。今までは7月でも遅いくらいだったのに、今年は8月でも多くのヒナが保護されているのです。また、去年くらいからスズメのヒナの尾羽にストレスラインが出ていることも懸念しています。理由は不明ですが、親がスムーズにエサを与えられず、苦労して育てているかもしれないと加藤さん。
「ストレスがかかると、羽根が伸びなくなるんです。すると羽が伸びたり伸びなかったりでストレスラインが出来てしまいます。今までこんなことはなかったんです。こういう施設があって、数が集まるので気がつくのかもしれません」。
また、電話相談や野生動物を持ち込む人々からも、いろいろな情報が得られます。たとえば誤認保護(巣立ちビナを間違って保護してしまうこと)した人に、電話で「大丈夫です。元の場所に戻してください」と伝えると、「3日目でも戻したら親が来ました。大丈夫でした」とその報告情報やデータが集ってきます。その季節や気候、場所や状況を判断して情報を分析したデータは、次の保護に活かすことができるのです。
ただ、そういう宝のような情報やデータをまとめる時間がなく、目の前のことをやるのが精一杯で取りかかる時間がないのが現状。これだけの情報があるのに、ちゃんとモニタリングをしていくことが出来ておらず、野生動物がメッセージを発しているのに、それを手つかずにフォローできないのが残念と、加藤さんは言います。アメリカだったら普通にやっていることが、まだ日本では出来ていないのだとか。
これまで野生動物保護は心ある高い志を持っている人に支えられてきました。しかし、生物多様性を実現しないと、私たちの生命を維持することすら難しいと分かっている今、国や自治体を巻き込んだ、大きな取り組みが必要になってきています。自然保護区やサンクチュアリの拡大と並行して、野生動物救護の仕組みを確立していかなければなりません。今回は神奈川県の施設を取材しましたが、たとえば東京都には野生動物救護の施設がありません。市民ボランティアの活動に頼っているのが現状です。調べなければ分からない現実。まず、野生動物のことに意識を向けることが、救護の第一歩なのかもしれません。
一つの命に上下はありません。絶滅危惧種だけではない、身近にいる野生動物の命も大切に考える。生きものの痛みを感じようとする。そして、人間目線だけでなく、生きものの立場になって考えることが重要です。たとえば、自然豊かな山中を車で走るときは動物が飛び出して来ないか細心の注意をしたり、鳥が間違ってガラスに衝突しないようにシールを貼ったり。営巣中の野鳥は離れてそっとしてあげるなど、私たちがすぐ出来ることから始めるのもいいでしょう。
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